『邪馬台国』 本出します!
ここ数週間の間で、『古語拾遺』と『魏志倭人伝』の訳をやりました。
実は、『古語拾遺』の中には、卑弥呼に関する記述がいくつか出てきていて、その訳を進めるウチに、卑弥呼の足取りと邪馬台国の場所は、ある程度見当がついていました。
そこまでは見抜けてました。
最後に、伊勢の地から動かなかったなら、邪馬台国は伊勢のことを指す。
でも、そこから動いたのなら別な場所。
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さあどっちだ? ということで、最終的に場所の特定のため『魏志倭人伝』の訳の方にいよいよ取り組んだわけです。
ちなみに、訳を始めたその時点では、まだ答えは分からぬ状態。
いつものように、他の人の訳は参考にせず、ゼロベースで訳し始めました。
この方法だと、メチャクチャ大変で、訳がカチッとハマって確定するまで「書いた回数」と「消した回数」が同じで、ひどいときには1時間かけて3行。なのに、翌日見直したら書き直し! なんてことも多々あるわけです。
なので、あまり気は進まなかったんですが、この方法でやった。
ラクを覚えると、真実が消える。
だから、一番大変な方法で、いつも訳しているのですが……
今回は外国語だったので、中国語、どうするんだ? とは思いましたけど、『翻訳サイト』と『古語辞典』のサイトと、『コトバンク』と『Wiki』を駆使したら、なんとかなった。
で、『魏志倭人伝』を読み解いて分かったことは……
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『九州説』はかすりもしない。
そもそも、朝鮮半島~倭国へのルート記載は、ハッキリ畿内方面を指しているのです。
それから、『九州説』の根拠の1つだった、『金印』は[漢委奴国王印]ですから、[魏国]からもらったものとは違うもの。
むしろ、誰が『九州説』を唱えたのか?
九州はカスりもしないぞ! 疑わしさすらないぞ!!
完全に、研究者個人の思い込みに起因する、解釈違い。
実際には【邪馬台国へのルート】はこのように続き……
そして、ここからは【邪馬台国の場所】の特定に向かいます!!
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『魏志倭人伝』の訳に入るまでは、「伊勢かな?」とアタリをつけていたのですが、実際には違いました。
ここには、「特定は簡単だった」って書きましたが、簡単だったのは最後の詰めの部分が簡単だっただけで、実際には研究は数ヶ月要しました。
noteの過去投稿にも、研究過程の投稿が残ってます。
で、『魏志倭人伝』を訳したら、邪馬台国の場所どころか、卑弥呼の宮殿の名称、城下町(すでに発掘されている。関係者は邪馬台国だと気づいてないが)まで特定できました。
そしてそれは、先に『古語拾遺』を訳していたときに気づいていた卑弥呼の履歴とも一致したのです。
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『邪馬台国』は、どこかの地方小国を、神秘的な女王が治めていたのでは?
というのが、一般的なイメージですが、
『魏志倭人伝』に書かれていたのは、中央政府そのものでした!!
実際、名前からもそれは明らかです。
詳しくは、当HPをご覧ください。
この数倍の考察が、当HPには載っています。
今、『書籍化』に向けて、原稿を書き始めてるところです。
ちょっとずつ進んではいるモノの、どうまとめるか? 思案中で、ちょっとずつしか進んでいない。
バーっと、一気に書けるかな? と思っていたが、人と違う主張をするとなると、信憑性を立証しながらでないといけないが、それを全部載せると膨大な説明になってしまうので、どこからどうまとめるか?
【HP📲】 ◤https://hironomichi.jp◢